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~最上川舟運と舟唄~
山形の母なる川「最上川」、米沢から酒田まで舟運航路が開かれた
元禄七年(1964)以降、左沢は内陸部と庄内を結ぶ中継地点として
たいへんな賑わいを見せていました、百目木(どめき)の川端には
ヤナが掛けられ、遊郭が軒を連ねていたといいます、また、舟運は
京葵祭の流れをくむお囃座をはじめ、多くの文化をもたらしました、
原町の街並みは当時の繁栄を静かに語っています。

舟運時代、往来する舟上では、船頭たちが唄う舟唄が響いていま
した、この唄を元唄に山形県を代表する民謡「正調最上川舟唄」の
誕生をみたのは、昭和に入ってからのこと、民謡愛好家であった
渡辺国俊氏がNHK仙台放送局から「いい舟唄があったら紹介して
ほしい」と話が舞い込み、左沢で当時、郷土きっての芸能人であった
後藤岩太郎氏とともに舟唄の作成を決意、後藤氏は、舟唄を求めて
各地を巡り、最上川を何度も上り下りし、実に1週間も舟上で唄い続け
、苦心の末、昭和21年ついに最上川舟唄が誕生しました。

と言う事で、最上橋に行ってみました、東へ大きく蛇行して流れる
最上川と、川面に影を映す眼鏡橋です、この美しい姿は、ふるさとを
象徴する風景として、多くの人々の胸に刻まれてきました。

SWG4998.jpg

初めて橋が架けられたのは明治16年のことで、木造橋でしたが昭和
15年に現在の永久橋となりました。

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この最上橋の近くには米沢舟屋敷跡であった事を物語るパネルが
ありました、米沢藩御用商人西村九左衛門は、元禄七年(1694)に
五百川峡谷を開削して置賜・村山間の舟運の道を開きました。
九左衛門は左沢の海野権四郎から土地を借りて舟屋敷を造り、米沢
・酒田間の舟の中継地として米沢方面の米などを江戸に輸送しました。

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この舟屋敷跡近くに齋藤茂吉の句碑がありました。
「最上川のさかまくみづを今日は見て心の充つるさ夜ふけにけり」

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最上川舟運が盛んな時代、左沢は大石田などと並んで、重要な川港の
町でした、領内でも第一の港が桜町の渡船場で、城下町左沢への玄関口
にあたり物資の陸揚げや人々の往来で賑わいました。

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その時代には多くの舟が往来していたのでしょうね…

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