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前回、ヴェンテンガルテンの向日葵畑を紹介しましたが、本当の目的は
斉藤茂吉の生家近くの茂吉の散歩道の散策をしてみたいと言うことなのでした。

生家に続く旧国道沿いに、雨に濡れて見えづらいですが散歩道の案内板があり
ます。

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この案内板がある所から、もう少し進むと斉藤茂吉の生家の案内板が見えて
来ますので、その路地を入って行きます。

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さて、ここで斉藤茂吉について少しお話しましょう、ふるさと山形をこよなく愛し、山形の
人々と山河を愛し、父と母を愛し続けた歌人、斎藤茂吉は、明治15年5月14日、山形県
南村山郡金瓶村(現上山市)に生まれました。

幼少より「神童」と言われ、14歳の夏、郷土出身の医家斎藤紀一をたよって上京、医学の
道に進み、後に斎藤家の婿養子となりました。

医学の道を志すかたわら文学に目覚め、処女歌集「赤光」で一躍注目を浴びました、その
後もアララギ派の歌人として「あらたま」「白き山」など優れた歌集をのこし、日本近代短歌史
に大きな影響を与たのです。

そして、昭和20年4月、斎藤茂吉は戦火を逃れて、故郷金瓶に疎開し、ここで終戦を迎え
ました、昭和15 年、学士院賞、昭和26 年、文化勲章を受章しています。

先ほどの案内板から西に進んで行くと茂吉の生家近くには土蔵があり、その隣に看板が
見えて来ます、これが斉藤茂吉の生家です。
門柱の表札には「守谷傅右衛門」とあります、斎藤茂吉はこの守谷家の三男として生まれ
ました。

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中に入って良く見てみましょう!

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中庭には「最上川の松」と書かれた案内板があり命名は北杜夫となっている。

DSC_7167.jpg

茂吉の生家の西隣には史跡「金瓶学校」があります。

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斎藤茂吉は明治21年入学しました、明治23年半郷尋常小学校に転じ明治29年4月
上山尋常小学校高等科を主席で卒業しました。

DSC_7151.jpg


DSC_7155.jpg

この建物は明治6年、当時の宝泉寺住職が隠居所として建て、寺子屋として用いられた
後に小学校になりました。

DSC_7159.jpg

茂吉が子供の頃、遊んだという金谷堂神社。

DSC_7162.jpg

茂吉の生家守谷家に隣接する宝泉寺。

DSC_7153.jpg

写真には撮っていませんが、本堂前の茂吉歌碑手前から左手奥に墓所があります、
茂吉の墓は「茂吉之墓」とだけ彫られ、これは生前茂吉自身の筆になるといいます。

DSC_7161.jpg

次回は二度目の訪問になる上山のそば屋さん、「たから亭」さんを紹介します、そばがき
ともりそばを食べて来ました、前回は携帯のカメラでしたが今回は一眼レフで撮りました
のでお店の中も蕎麦も綺麗に撮れたと思います。
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││09/07 14:06│編集
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