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西川町を訪ねてシリーズの第4弾になります、今回は大井沢の中村地区
にある「大日寺跡湯殿山神社」です、こういうのは分からないとか、つまらない
とかは思いますが、なるべく分かりやすく説明するようにします。

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大井沢には金色山大日寺という寺院がありました、大日寺は*弘法大師が
天長年間(824~833)に湯殿山を開いた際に創設したとされている。

*「弘法大師は、嵯峨・惇和・諸天皇の三代にわたる天皇家からの依頼で国家安泰
の修法を勤めました。しかし、その一方で、諸国を巡って人々の苦悩を解決し、有名
な満濃池を修築し、文化の恩恵を受けない大衆のために、綜芸種智院を開かれ、
民衆教化を進めた。それは、貴族やお金持ちの子弟だけが学ぶところではなく、文化
の恩恵を受けることができなかった大衆の教化に努めた。」

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大日寺跡地の前には「大日寺地蔵尊」と呼ばれる、最上48地蔵尊第28番札所
で延命・子安の中村地蔵尊があります。

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大日寺は湯殿山別当四ヶ寺の1つとして、江戸時代中期以降に最も繁栄し、貞享年中
(1684)勅命により、国家鎮護玉体安穏の祈願寺として免許される。

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また、江戸の誕生院よりは二百八十匁の大鐘が奉納される等して、日本七大霊場の1つ
に数えられるまでに至っていました。

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大井沢の里は、白衣の行者によって埋め尽くされ「湯殿まで笠の波打つ大井沢」と歌に
まで詠まれたのは、この時代でした。

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明治元年(1868)神仏分離令の公布と共に諸仏は縁ある寺院に流され、明治7年(1875)
遂に寺号を返上し、翌明治8年(1876)摂社湯殿山神社と改称されました。

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その後、明治三十六年の火災で仁王門、山王堂、鐘楼を残して焼失し、大日寺の建物の
多くは失われました。

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本堂から見た仁王門

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その当時の大日寺の建物の場所等を復元した図がありました。

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写真には撮りませんでしたが湯殿山碑の近くには福蔵院・蓮花院・金蔵院・妙智院の
それぞれの跡地が分かるように柱のようなものが置いてありました。

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