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2008/09/05 (Fri) 秋の訪れの気配…

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前回、ヴェンテンガルテンの向日葵畑を紹介しましたが、本当の目的は
斉藤茂吉の生家近くの茂吉の散歩道の散策をしてみたいと言うことなのでした。

生家に続く旧国道沿いに、雨に濡れて見えづらいですが散歩道の案内板があり
ます。

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この案内板がある所から、もう少し進むと斉藤茂吉の生家の案内板が見えて
来ますので、その路地を入って行きます。

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さて、ここで斉藤茂吉について少しお話しましょう、ふるさと山形をこよなく愛し、山形の
人々と山河を愛し、父と母を愛し続けた歌人、斎藤茂吉は、明治15年5月14日、山形県
南村山郡金瓶村(現上山市)に生まれました。

幼少より「神童」と言われ、14歳の夏、郷土出身の医家斎藤紀一をたよって上京、医学の
道に進み、後に斎藤家の婿養子となりました。

医学の道を志すかたわら文学に目覚め、処女歌集「赤光」で一躍注目を浴びました、その
後もアララギ派の歌人として「あらたま」「白き山」など優れた歌集をのこし、日本近代短歌史
に大きな影響を与たのです。

そして、昭和20年4月、斎藤茂吉は戦火を逃れて、故郷金瓶に疎開し、ここで終戦を迎え
ました、昭和15 年、学士院賞、昭和26 年、文化勲章を受章しています。

先ほどの案内板から西に進んで行くと茂吉の生家近くには土蔵があり、その隣に看板が
見えて来ます、これが斉藤茂吉の生家です。
門柱の表札には「守谷傅右衛門」とあります、斎藤茂吉はこの守谷家の三男として生まれ
ました。

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中に入って良く見てみましょう!

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中庭には「最上川の松」と書かれた案内板があり命名は北杜夫となっている。

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茂吉の生家の西隣には史跡「金瓶学校」があります。

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斎藤茂吉は明治21年入学しました、明治23年半郷尋常小学校に転じ明治29年4月
上山尋常小学校高等科を主席で卒業しました。

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この建物は明治6年、当時の宝泉寺住職が隠居所として建て、寺子屋として用いられた
後に小学校になりました。

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茂吉が子供の頃、遊んだという金谷堂神社。

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茂吉の生家守谷家に隣接する宝泉寺。

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写真には撮っていませんが、本堂前の茂吉歌碑手前から左手奥に墓所があります、
茂吉の墓は「茂吉之墓」とだけ彫られ、これは生前茂吉自身の筆になるといいます。

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次回は二度目の訪問になる上山のそば屋さん、「たから亭」さんを紹介します、そばがき
ともりそばを食べて来ました、前回は携帯のカメラでしたが今回は一眼レフで撮りました
のでお店の中も蕎麦も綺麗に撮れたと思います。

今日は高瀬の紅花まつりに行って来ました、前回は白鷹町の
紅花まつりに行きましたので紅花まつりのハシゴです(笑)。

あくまでも目的は紅花の撮影です!けっして紅花娘の撮影会
ではありません…(笑)

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まあ、この紅花娘の撮影会の写真はひろぽんの「ふぉとギャラリー」
のほうで綺麗な写真でたくさんUPしますので、そちらのほうをご覧
下さい、ここでは少しだけUPします。

高瀬地区の紅花畑は前回行った白鷹町よりも咲いていたようです、
この天気ですから2、3日で白鷹のほうも同じくらいの開花状況だと
思いますが…

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さて、紅花娘の撮影会の方ですが、プロもモデルさんの二人組と
素人二人組に分かれての撮影だったようです、なにしろ初めてなので
全然、撮り方がわかりません…

こちら素人組、何でも高校三年生だとか。

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後で気が付いたのですが、今日は日差しが強いのでストロボを焚かない
と顔に影が出来てしまいます、帰って来て気が付きました…失敗です…

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そして、こちらがプロのモデルさんのほうです、やはり顔とか表情の
作り方が違う感じがしますね。

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次回は高瀬地区上東山の平石水に伝わる鹿楽招旭踊(カラオギアサヒオドリ)を
紹介します、こちらは動きがあるので被写体としてはかなり難しいです、それに
その踊りの意味を分かっていないと撮れないということもあると思いました、それでも
頑張って撮ってみましたのでUPしましたらどうぞご覧下さい。


市内の霞城公園の東大手門櫓が今日から開放するとの情報が
あり、行ってみることにしました、通常は年に2回だけの開放なの
ですが今回は特別に6月16日(月)〜6月22日(日)の期間の
AM10:00〜PM17:00の時間帯に無料で開放しています。

自宅から10分もかからない距離にあるので、医者からは毎日
30分は歩かないと駄目だよ、と言われていたので運動ついでに
見に行きました、そう言えば花見のシーズンも開放はしている
のですが行ったことがなかったので丁度良かったです。

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西門までは歩いて3分で着く、そうだ、今回、携帯の機種変で
新しい機能が付いたので試してみよう、携帯でウォーキングの
アドバイスや情報が分かるという機能があるので早速やってみた。

霞城公園の中も新緑真っ只中という感じですね…

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あれっ?体育館と武道館の耐震工事が終わったみたいで工事用の
パネルが撤去されていた。

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市内のどこに行っても、このビルが映ってしまう…

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武道館

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進んで行くと、いつの間にか本丸一文字大手橋が完成していて
渡れるようになっていた、花見の時期は開放されたようですが
現在は常時通れるようです。

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橋の手前は広くなっていて、いい散歩コースになっています。

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さて、渡ってみましょう!

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この辺も桜の木があるので完成して本丸のお堀に水がはいると
また桜の名所になるのでしょうね〜

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一文字門から博物館方面を見る

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一文字門を後にして東大手門のほうに歩きましょう!
ここに来ると、どうしてもシャッターを切ってしまう(笑)

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石段を登って東大手門櫓に進みます。

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おおっ、いつも閉まっている扉が開いている。

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櫓の中は山形城を作った時の資料などが展示されています。

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櫓の間から見える風景

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大体、櫓とはなんの為にあるのだろう?調べてみると、櫓は矢などの武器や
食糧の貯蔵庫で非常のときは鉄砲や矢で敵を攻める拠点に、また物見や城
の装飾として建てられていたとのことです。

その役割の一つであろうと思われるものがありました、「石落とし」
と呼ばれるもので、攻めて来た敵の上に、ここから石を落として敵の
進入を食い止めるためのものです。

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建設に使用された木材などが展示してありました。

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複雑に入り組んだ柱

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ビデオによる山形城の歴史や建設に関しての内容などを放映して
いました、県外からの観光客の人達もいたようです。

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両方の櫓の入り口から入れるようになっています、帰りには
アンケート用紙に記入すると花の種がプレゼントされます。

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