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2008/09/05 (Fri) 秋の訪れの気配…

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西蔵王の野草園に行く途中に十一面清水観音菩薩と書かれた標識があり
いつも気になっていたので車を停めて良く見てみました。

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説明文が書かれたものがあったので読んでみると、こう書かれてありました。

「源頼義が前九年の役に勝利を祈ったと伝え、清水観音蔵をこの地に残して
凱旋したと伝えている。本尊は故あって平清水観音に移ったと伝え現在の
本尊は地区の有志によって奉納された観音菩薩だそうです。その本尊は秘仏
で清水式十一面千手観世音菩薩と伝えられています。」

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この清水観音のすぐ先の橋の名前が「観音橋」になっている。

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そして、この辺からは山形市内が見渡せる、それに鉄塔もいい感じです(笑)。

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寒河江市から国道112号線(六十里越街道)を鶴岡方面に向かい
西川町睦合まで来ると道路沿い右側に案内の石碑が見えて来ます。

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長登観音用の駐車場がありますが4台ほどしか停められないと思い
ます、駐車場から朱印所に行けるようになっているようです、観音堂
までの道案内板があります。

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ちょうど朱印所の中にある庭を抜けても行けるようになっています。

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朱印所を出るとすぐに急な坂道が続いています、入り口まで歩くと
かなり息があがってしまいました…

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観音堂までは、これまた急な石段があります。

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途中まで石段を登って行くと何やら標識が!何?少し楽な山道って…
う〜ん、ここは石段を登ろう!そして降りて来たら冷たいコーラでも
一気飲みしよう♪、その為にも吹き出る汗を物ともせずに登るぞ!
石段は97段あるそうです。

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でも帰りは、この少し楽な山道を下るか…

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なんとか到着しました。

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長登観音は、かつて現在地よりも2km程入った山頂にありました、険しい山道を
登って観音堂へとたどり着いたことからその名が付いたと言われています。

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今年は平成20年の子年連合御開帳の年で平成20年5月1日より10月31日まで
御開帳されています、本尊は行基の作で十一面観世音。

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「ご詠歌」
やまをわけ きしをつたひて ながのぼり
はなのうてなに いたるなるらん

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最上三十三観音 第十七番 長登観音
西村山郡西川町睦合乙142
TEL 0237-74-3853

西川町を訪ねてシリーズの第4弾になります、今回は大井沢の中村地区
にある「大日寺跡湯殿山神社」です、こういうのは分からないとか、つまらない
とかは思いますが、なるべく分かりやすく説明するようにします。

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大井沢には金色山大日寺という寺院がありました、大日寺は*弘法大師が
天長年間(824〜833)に湯殿山を開いた際に創設したとされている。

*「弘法大師は、嵯峨・惇和・諸天皇の三代にわたる天皇家からの依頼で国家安泰
の修法を勤めました。しかし、その一方で、諸国を巡って人々の苦悩を解決し、有名
な満濃池を修築し、文化の恩恵を受けない大衆のために、綜芸種智院を開かれ、
民衆教化を進めた。それは、貴族やお金持ちの子弟だけが学ぶところではなく、文化
の恩恵を受けることができなかった大衆の教化に努めた。」

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大日寺跡地の前には「大日寺地蔵尊」と呼ばれる、最上48地蔵尊第28番札所
で延命・子安の中村地蔵尊があります。

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大日寺は湯殿山別当四ヶ寺の1つとして、江戸時代中期以降に最も繁栄し、貞享年中
(1684)勅命により、国家鎮護玉体安穏の祈願寺として免許される。

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また、江戸の誕生院よりは二百八十匁の大鐘が奉納される等して、日本七大霊場の1つ
に数えられるまでに至っていました。

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大井沢の里は、白衣の行者によって埋め尽くされ「湯殿まで笠の波打つ大井沢」と歌に
まで詠まれたのは、この時代でした。

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明治元年(1868)神仏分離令の公布と共に諸仏は縁ある寺院に流され、明治7年(1875)
遂に寺号を返上し、翌明治8年(1876)摂社湯殿山神社と改称されました。

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その後、明治三十六年の火災で仁王門、山王堂、鐘楼を残して焼失し、大日寺の建物の
多くは失われました。

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本堂から見た仁王門

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その当時の大日寺の建物の場所等を復元した図がありました。

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写真には撮りませんでしたが湯殿山碑の近くには福蔵院・蓮花院・金蔵院・妙智院の
それぞれの跡地が分かるように柱のようなものが置いてありました。

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